東北教区の教職メッセージ


『牧師の仕事のために祈ろう!』     戻る

いわきアッセンブリー教会 奥田冬樹

聖書箇所

そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
使徒の働き 6章1〜4節

1.牧師はまず祈りとみ言葉に集中します

使徒時代の教会において、日々の配給での苦情が起こったとき、使徒たちは自分達の役目は日々の配給ではなく「祈りとみことばの奉仕」であると宣言しています。日々の配給も重要な働きでした。しかし使徒たちの本来的な働きは配給ではなく、「祈りとみことばの奉仕」だったのです。

これは今の教会においてもあてはまります。牧師の役割の第一は、やはり祈りとみことばの奉仕といえます。祈らないで牧師はできません。聖書を読まない牧師というのもありえません。まず第一にやるべきことは、祈ること、みことばを読み神様と一対一で深く交わることです。

私たちは、主の祈りで「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。ですから、当然私たちも神様のみこころを行ないます。教会は神のみこころを行なっていくところなのです。神のみこころが何であるのかわからなければ、正しく進んでいくことができません。牧師は祈りの中で、神のみむねを聴いて教会を牧会していくのです。

教会を飛行機にたとえれば、牧師はちょうどパイロットのようです。管制官である聖霊様に聴きながら、その進路を正しくとっていくのです。パイロットは操縦することに集中します。パイロットが乗客に機内食を運んだり、毛布を運んだりはしません。操縦しながら客室乗務員の仕事はできないのです。もしパイロットが機内食を運んでいたら、誰も操縦する人がいなくなって飛行機は墜落してしまいます。

十二使徒たちが、「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。」と言ったのはこういう理由からなのです。
牧師はいつもこの優先順位が崩れないように心がけています。教会員ひとりひとりも、牧師が祈りとみ言葉に集中できるように配慮し、とりなし祈ってゆくことが必要です。

2.牧師はみことばによって信徒を養います

イエス様はペテロに「わたしの羊を牧しなさい」と言われました。そしてそのペテロは長老達に「神の羊の群れを、牧しなさい」と勧めています。

あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。ペテロの手紙第一 5章2〜3節

牧師の仕事の第二は、牧師という言葉が表わすように「羊を養うこと」です。ひとりひとりには霊の糧であるみことばがどうしても必要です。それによって育つのです。ですから、牧師は信徒をみことばによって養わなければなりません。みことばをひとりひとりに取り次ぐということは、羊飼いが羊に良い牧草を与え、渇きを潤す水のほとりに導くことと同じです。

もしみことばによって養われなかったら、霊的にやせ衰えていってしまうことになります。みことばによって信徒を養うのが、牧師の仕事です。

また、羊飼いは羊を危険から守ります。牧師は間違った教えが入り込まないように、守らなければなりません。みことばによって信徒を守ることも牧師の仕事なのです。

3.牧師は聖徒達を整えて奉仕の働きをさせます

神様のみこころは、私たちが互いに愛し合うことです。イエス様が十字架で命を捨てるほどに私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛するのです。その愛は、言葉や口先ではなく実践を伴います。愛は行ないとして表わされていくものなのです。

その愛の実践が奉仕となります。教会における伝道・交わり・教育など、様々な場での奉仕は、すべて愛の実践です。奉仕とは隣人愛を実践することなのです。互いに愛し合いなさい、愛を実践しなさいと語っておきながら、愛の実践の場である奉仕の場を、なにも提供しないならばこれはよくないことです。愛しなさいと語るなら、愛を実践する場を提供し、それぞれが行えるようにすべきなのです。

だから牧師は奉仕の場を、ひとりひとりに提供していきます。こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり エペソ人への手紙4:11〜12と書いてあるとおりです。

そして教会のひとりひとりが、互いに愛し愛され、仕え仕えられて、しっかりと組合されていくようにしていくのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。エペソ人への手紙4:16

まとめ.

牧師は、牧師本来の仕事をなさなければならなりません。そして信徒であるひとりひとりは、牧師に牧師の仕事をさせなければならないのです。

使徒たちがが日々の配給のことに忙しくしていたら、使徒時代の教会は、立ち行かなかったことでしょう。使徒たちが祈りとみことばに集中できるように、ステパノやピリポなどの信徒リーダーがたてられることを通して、教会は大きく前進していきました。

体の中で目には目の働き、口には口の働き、耳には耳の働きがあります。教会の中でも、それぞれの働きがあります。牧師には牧師の働き、信徒には信徒の働きがあります。私たちは、その働きのための恵みを神様からいただいているのです。ですからそれをお互いのために大いに用いていくのです。

それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。ペテロの手紙第一4章10節
とあるように、そのように仕え合っていきましょう。
牧師の役目、自分の役目をわきまえて、共に力を合わせて実践する1年にしていこうではありませんか!