東北教区の教職メッセージ


『石はすでに転がされていた』     戻る

信愛キリスト教会牧師 横山 臨

さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか。」とみなで話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。
マルコの福音書16章1〜4節

今年の教会歴では、4月5日(日)棕櫚の主日、そして受難週、12日(日)イースターになります。
イースター、すなわち復活祭と呼ばれるとおり、主イエス・キリストは亡くなった日から数えて3日目の早朝に、新しい体に復活されたのです。 2000年前のイエス様の復活と現在の私とどんなつながりがあるのでしょうか。

 イエス様が復活されなかったら、私たちの信仰は空しいものとなってしまいます。 しかし、事実イエス様が復活されたので、私たちは救いを確信し、天国への希望が持て、日曜礼拝に意味を持てるようになったのです。そして私たちの信仰に命を賭けることができるようになったのです。私たちの先輩たちも、イエス様が事実復活されたので、命を賭けてこの信仰を守りとおすことができたのです。

 ただ、最初にイエス様の復活に出会った弟子たちは、非常に当惑した姿を聖書の中に映しています。生前のイエス様が、死と復活を予告していたにも関わらずにです。マルコ16章には女弟子たちの悲しい心と、どうして良いか分からない悩みが書かれています。

女たちはイエス様を愛していました。だからこそ愛する者を失った悲しみに心が満たされています。死んでしまってもまだ愛していたからこそ、墓参りをしたいと思い、遺体に油を塗りたいと願ったのです。この心は私たち日本人が共感できる共通の心ではないでしょうか。

女たちは、もう一つ当面の現実的な悩みを抱えていました。それは墓の石でした。他の福音書も参照すると、イエス様の遺体は少なくとも5つのもので閉じ込められていました。息をひきとったという死の事実、体をくるんだ布、墓の石、石を動かしてはならないというローマ帝国の封印、そして番兵たちです。こうしてみると、女たちが単に体力が無いから石を動かせないというだけではないことが分かります。遺体に触れることは絶望的に近かったのです。それをどうして良いか分からなかったのです。

ただ一つ女たちの偉かったところは、絶望してじっとしているのでなく、愛するイエス様に近づいて行こうと行動したことです。そのために彼女たちは墓が空であることの最初の証人になりました。また、主の使いの伝言を伝えることができました。 父なる神様は、死の悲しみと、遺体を閉じ込め ているすべての状態に解決を与えてくださいました。御子イエス様を死から復活させられたのです。すでに石は転がっていました。主がすでに復活されたからです。

あなたは、死別した愛する者を思う悲しみの中に留まってはいませんか。主はすでに復活されたのです。 あなたは、現実を取り巻く悩みに押しつぶされてはいませんか。石はすでに転がされているのです。 死に勝利された主を見上げ、前進しましょう。

周りの悲しんでいる人に、永遠に続く希望を伝えましょう。このすばらしいニュースを信じる信仰に命を賭けましょう。このイースターの時期、あなたとあなたの教会の上に、主の福音の前進、そして祝福が豊かに在りますように。