東北教区の教職メッセージ


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   布施勉 (山形キリスト教会)

 彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。
 きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。
 もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。
 さあ、行って、王の家に知らせよう。」
  列王記第二 7章9節

 イエス・キリストは十字架の死と復活により、私達の罪からの救いを成し遂げ、
今は天の父の右に着座され、聖霊を限りなく注いでいて下さることを感謝しよう。
さて、私達は一人の副官の言葉を聞く、
「たとい主が天に窓を開かれても、そんな事がありえましょうか」。
エリシャは言った、「あなたは自分の目をもってそれを見るであろう。
しかしそれを食べることはなかろう」。

 サマリヤでひどい飢饉があった時のことであるが、
神は人間の常識を越えて業を成されたことを告げている。
四人のらい病人が動かされ、エリシャを通して語られた主の言葉のとおり、
麦粉一セアは一シケルで売られ、大麦二セアは一シケルで売られるようになったのである。

 らい病人達は死ぬまでここに座っていては駄目なのだと考え、アラムの陣営に入って行った。
なんと主がアラムの陣営を掻き乱されたので、彼らはすべてを置き去りにして逃げ去った後であった。
らい病人達は天幕に入り、飲み食いしたり、金、銀や衣服を持ち出し、隠しに行ったが、彼らは気付いたのだ。

「われわれのしている事はよくない。
 きょうは良いおとずれのある日であるのに、黙っていて、夜明けまで待つならば、
 われわれは罰をこうむるであろう。さあ、われわれは行って王の家族に告げよう」。
 (2列王記7章9節)

 こう話し合って、彼らは町に行って、事の次第を告げたことが
サマリヤの飢饉を終わらせるきっかけとなって行ったのである。

 現代社会は不況の波に覆われ、人々の霊的状態も閉ざされている有様である。
私達がもし、副官のような態度をとるならば最悪の状態で終わってしまうと思う。
しかし、今は何をしなければならないのかと気付いて、
直ちに行動した四人のらい病人のようであるなら、人々に救いを与える機会となるであろう。